「即心是仏とは」「もろもろの仏祖に、いまだ一人として、即心是仏の句を保ざるものはない。しかるに、この句は印度にはなく、中国にしてはじめて聞くところである。学者はたいていその矛盾に躓いて、その矛盾を超えることができないんら、たいてい外道の見におちる。愚かなるものは、この即心是仏の句を聞いて、いまだ菩提心を発せざる人々の心のいとなみを、そのまま仏となすのかと思う。それはまだ正師にもみえないからである。(即心是仏)
原文「仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり。しかあるを、西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり。学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず。将錯就錯せざるゆゑに、おほく外道に零落す。いはゆる即心の話をききて、痴人おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるを、すなはち仏となすとおもへり。これはかって正師にあはざるによりてなり。(即心是仏)
錯就錯:矛盾をもって矛盾を超える意。外道:仏教以外の思想もしくは思想家を言うこと場。そこから誤った所説をなす者を指す。