「大証国師のことば」「唐の大証国師慧忠和尚が僧に問うていった。「どちらの方からおいでたか」僧がいった。「南の方からまいりました。「和尚がいった。「南の方にはどんな善知識があられるか」僧がいた。「沢山の善知識がおられます」和尚がいった。「どんなことを説いておられるのか」僧がいった。「あちらの方の知識は、ずぱりと学人に即心是仏としめされます。仏とは覚の意であるが、汝らはすべて見聞覚知の性をそなえている。その性は善である。よく眉をあげてまばたき、過去と未来をかけめぐり、また身中にあまねくして頭にふるれば頭が知り、脚にいたれば脚が知る。その故に正徧知と名づける。これを離れてほかにまた別の仏はない。この身には生滅があるが、この心性ははきじめなき古よりいまだかって生滅がない。この身の生滅は、竜の骨を換えるがことく、蛇の皮を脱ぐに似ており、また人の古き家を出ずるとおなじである。つまり此の身は無上であるけれども、その性は常恒なのであると、南方の善知識の所説はおおよそかようであります。(道元:正法眼蔵・即心是仏)

原文「大唐国大証国師慧忠和尚問和尚僧、「従何方来」僧日「南方来」師日「南方有何知識」僧日「知識頗多」師日「如何示人」僧日「彼方知識、直下示学人即心是仏。仏是覚義、汝今悉具見聞覚知之性。此性善能揚眉瞬目、去来運用、徧於身中、垤頭頭知、垤脚脚知、故名正徧知。離此之外、更無別仏。此身即有生滅、心性無始以来未曽生滅。身生滅者、如竜換骨、似蛇脱皮、人出故宅。即身是無常、其性常也。南方所説、大約如是」

「知識」:]善知識の略高徳の賢者にして人を導いて仏道に入らしむる者をいうならわし」「正徧知:仏十号の一。等正覚におなじ。」