「東司の作法」「大小便を洗うことを怠ってはならない。舎利弗はかってこのことをもって外道を帰服せしめたことがあった。それは、もと外道の期するところでもなく、舎利仏の考えてしたことでもなかったが、仏祖の整々たる作法のおこなわれるところに、おのずからして邪法が服したのである。樹下や露地にあって修行するときには、便所がないから、便宜の谷や水や河の水などによって、分土をもって洗浄するのである。そんな時には灰がないから、二とおりの七つの丸めた土をもちいる。その用い方は、まず法衣を脱いでたたんでおいた後、あまり黒くない黄色の土をとり、一つの大きさがおおきな大豆ぐらいに分けて、石の上か、あるいは然るべきところに、七つずつふたとうりに並べておく。それから磨き石にする石を準備する。そこで便をする。すませたならば、木片をつかい、あるいは紙をつかい、それから水辺にいたって洗浄する。それには三丸の土をもちいる。まず一丸の土を掌にとり、水をすこし加えて、泥よりもうすく水ばかりのようにして、まず小便を洗浄する。ついで一丸の土をもって、おなじようにして大便を洗浄する。更に一丸をもって、おなじようにして手を洗うのである。」
原文「洗大小便おこたらしむることなかれ。舎利弗、この法をもって外道を降伏せしむることありき。外道の本期にあらず、身子が素懐にあらざれども、仏祖の威儀現成するところに、邪法おのづから伏するなり。樹下露地に修習するときは、起屋なし。便宜の渓谷河水等によりて、分土洗浄するなり。これは灰なし、ただ二七丸の土をもちゐる。二七丸をもちゐる法は、まず法衣をぬぎてたたみおきてのち、くろからず黄色の土をとりて、一丸のおほきさ大なる大豆許に分して、いしのうへ、あるいは便宜のところに、七丸をひとならべにおきて、二七丸をふたへにならべおく。さののち、磨石にもちゐるべき石をまうく。そののち屙(あ)す。屙後使ちゅう、あるいは使紙。そののち水辺にいたりて洗浄する。まず三丸の土をたづさえて洗浄する。一丸土を掌にとりて、水すこしばかりをいれて、水に合してときて、泥よりもうすく、漿ばかりになして、まず小便を洗浄す。つぎに一丸の土をもて、さきのごとくして大便処を洗浄す。つぎに一丸の土をさきのごとくして、略して触手をあらふ。」