「竹の声に悟りをひらく」「また、香厳智閑禅師が大潙大円禅師の門に学んだころのこと、大潙がいった。「なんじは聡明にして博学であるが、ひとつ、注釈のなかから憶えたものではなく、父母のまだ生まれぬ以前から得きたった一句をわがために語ってみるがよい」そこで香厳は、いくたびもそれを試みたが、どうしてもできなかった。彼は深く我が身をうらみ、年来たくわえる書籍を披見してみたが、なお見当もつかない。かくて彼はついに年頃あつめきたった書籍を焚くいていった。「画にかいた餅は飢えをいやすに足りぬ。われは誓う。この生涯において仏法を理解することは望むまい。ただ行粥飯僧になろう」かくて、粥飯を行じて幾年も経った。行粥飯僧とは、衆僧のために飯焚きをして胞子する僧のことであったて、我が国でいう台所方のようなものである。」