「国王・王子・大臣・官長・婆羅門・居士に親近せざれ」初祖達磨ハインドより渡来してのち嵩山にあったが、梁の武帝も巍の王もしらなかった。そのころ二匹の犬があった。菩提流支と光統律師である。虚名と邪利が正しき人によって妨げられることを恐れて、天日をくらまそうとするような振る舞いをしたのである。その悪業は世尊在世のころの提婆達多にもすぎるものであった。だが、あわれむべし、彼らが深く愛する名利は、祖師が糞よりも厭うところであった。そのようなことは仏法の力量がまだいたらなかったからではない。よき人を吠える犬もあるということである。吠える犬を煩うことはない。恨むこともない。それもまた導いてやらねばならないと思うがよい。たとへば、「汝は畜生なりといえども、菩提心をおこすがよい」といってやるがよい。先哲は「人面の畜生」といったことがある。また帰依し供養する魔類もあろうというもの。だから経のことばにも「国王・王子・大臣・官長・婆羅門・居士に親近せざれ」とみえる。真の仏道を学ばんといる者の忘れてはならない心得である。さすれば、初学の修行者の功徳も、すすむにたがって増すのである。」(道元:正法眼蔵・谿声山色)

原文「初祖西来よりのち、嵩山に掛錫するに、梁武もしらず、巍王もしらず。時に両箇のいぬあり。いはゆる菩提流支三蔵と光統律師となり。虚名邪利の正人にふさがれんことをおそりて、あふぎて天日をくらまさんと擬するがごとくなりき。在世の達多よりもなほはなはだし。あはれむべし。なんぢが深愛する名利は、祖師これを糞穢よりもいとうなり。かくのごとくの道理、仏法の力量の究竟せざるにはあらず、良人をほゆるいぬありとしるべし。ほゆるいぬをわづらふことにかれ、うらむことなかれ。引導の発願すべし。汝是畜生、発菩提心と施設すべし。先哲いはく、これはこれ人面畜生なり。また帰依供養する魔類もあるべきなり。前仏いはく、不親近国王・王子・大臣・官長・婆羅門・居士。まことに仏道を学習せん人、わすれざるべき行儀なり。菩薩初学の功徳、すすむにしたがふてかさなるべし。」