「諸悪は莫作である。」「わが心をひきたてて修行せしめ、またわが身をあげて修行せしむれば、いまだ機のいたらざるにさきだって十中八九は成る。そこで頭をめぐらして振返ってみると莫作がある。なんじが身心をひっさげて修行する、あるいは誰でもがその身心をひっさげて修行する時、その四大・五蘊をあげての修行の力が忽ちにして実現してくると、もはやその四大・五蘊は自己を汚すことなきものとなる。これまでのの四大・五蘊までがともに修行せられてゆく。いま修行する四大・五蘊のちからによつてこれまでの四大・五蘊も修行せしめられるのである。それのみではない。山河大地・日月星辰までも修行せしめ、その山河大地・日月星辰がさらにかえってわれらを修行せしめるのである。それはただ一時のみの開眼ではなく、過去より未来にいたるまでの諸時にわたる活眼である。諸時にわたって開眼する活眼であるから、もろもろの仏祖をも修行せしめ、聞教せしめ、仏果を証せしめる。(道元:正法眼蔵・諸悪莫作)
原文「みづからが心を挙して修行せしむ、身を挙して修行せしむるに、機先の八九成あり、脳後の莫作あり。なんぢが身心を拈来して修行し、たれの身心を拈来して修行するに、四大五蘊にて修行するちから、驀地に見成するに、四大五蘊の自己を染汗せず、今日の四大五蘊までも修行せられてもゆく。如今の修行なる四大五蘊のちから、上項の四大五蘊を修行ならしむるなり。山河大地・日月星辰にても修行せしむるに、山河大地・日月星辰かへりてわれらを修行せとむるなり。一時の眼晴にあらず、諸時の活眼なり。眼晴の活眼にてある諸時なるがゆゑに、諸仏諸祖をして修行せしむ、聞教せしむ、証果せしむ。」
脳後(のうご)廻頭転脳つまり頭をめぐらして越し方を振り返ってみる。四大五蘊:人間の身心の全てをかたっている。四大とは地・水・火・風の四つの元素であって人間の肉体歩構成するものもまたその他ではない。五蘊とは、その肉体的部分としての色およびその精神的部分としての受(かんかく)・想(表象)行(感情と意志)・識(意識)の五つ野部分である。
「与其刹不辜 寧失不経 そのを刹さんよりはむしろ不経せよ-罪のない人間をころすよりもむしろ法律ほを曲げたほうがよい-