「仏の真の法身は虚空のごとし」「詮ずるところ、諸悪莫作は、驢馬が井戸をのぞけば、井戸が驢馬をみるというのみではなく、井戸が井戸をみ、驢馬が驢馬をみるのである。人が人をみるのである。山が山をみるのである。その相対的寸系を破った道理を説くところが諸悪莫作なのである。「仏のまことの法身は、なお虚空のごとし。物に応じて形を現ずること、水中の月のごとし」という。物に応じての莫作であるから、さまざまの形を現ずる莫作であって、その無礙自在なることは、なお虚空のごとくであるが、また水中の月のごとく、疑いもなく水が月を宿しているのである。そこまでゆけば、もはやもはや莫作のありようは疑いもなく明らかであろう。」(道元:正法眼蔵・諸悪莫作)
原文「諸悪莫作は、井の驢をみるのみにあらず、井の井をみるなり。驢の驢をみるなり。人の人をみるなり、山の山をみるなり。説箇応底道理あるゆゑに、諸悪莫作なり。「仏真法身、猶若虚空、応物現形、如水中月」なり。応物の莫作なるゆゑに、現形の莫作あり。猶若し虚空、左拍身儀拍なり。如水中月、破水中月、破水月礙なり。これらの莫作、さらにうたがふべからざる現成なり。」
「聖人之治蔵於民不蔵於府庫」韓非子 人を大切にせよ