「自淨其意とは」「いはゆるいうところの諸仏とは、自在天のようなものといってやかろうか。だが、自在天にもいろいろとあって、全ての自在天が諸仏であるあるわけではない。あるいは、転輪聖王のようなものといってもよかろうが、全ての転輪聖王が賜与仏であるわけででもない。そりような道理をいろいろと工夫して学ぶがよい。諸仏とはどのようなものかを学ばず、いたずらに苦労しているような者もあるが、それはただ受苦の衆生というものであって、けっして仏道を行じているわけではない。ただ、莫作と奉行とは、驢いまだ去らざるに、馬すでに到るというところである。〔莫作のことが完了してから、それから奉行のことがはじまるのではないの意)」

原文「いはゆる諸仏、あるいは自在天のごとし。自在天に同不同ありといへども、一切の自在天は諸仏にあらず。あるひは転輪王のごとくなり。しかあれども、一切の転輪聖王の諸仏なるにあらず。かくのごとくの道理、功夫参学すべし。諸仏はいかなるべしとも学せず、いたずらに辛苦するに相似せりといへども、さらに受苦の衆生にして、行仏道にあらざるなり。莫作および奉行は、驢事未去、馬事到来なり。」