「かわいそうに居易よ、なんじは何をいうぞ。まだ仏家の風情をきかないからなのであろう。いったい、なんじは三歳の童子を知っているか。童子が先天的にもっている道理を知っているか。もしよく三歳の童子を知る者は、三世の諸仏をも知っているはずだ。いまで三世の諸仏をしらないものが、どうして三歳の童子を知っていようぞ。人は対面したから知っているとおもってはならない。また、対面しなければ知らないと思ってははならないのだ。(道元:正法眼蔵・諸悪莫作)

原文「あはれむべし居易、なんぢ道甚麼なるぞ、仏風いまだきかざるがゆゑに、三歳の孩児しれりやいなや、孩児の才生せる道理をしれりやいなや。もし三歳の孩児をしらんものは、三世諸仏をも知るべし。いまだ三世諸仏をしらざらんものは、いかでか三歳の孩児をしらん。対面せるはしれりとおもふことなかれ、対面せざればしらざるとおもふことなかれ。」