「一塵をしるものは全世界をしり、一事をしるものは全存在をしる。だから、全存在に通じないものは一事にも通じないのである。この道理をよく学びいたる時、人は全存在をもみる。一事をみるがゆゑに、一塵を学するものが、かならず全世界を学するのである。三歳の童子は仏法を語ることはできないと思い、あるいは、三歳の童子のいうことはやさしいことと思うのは、愚かさのいたりである。そのゆえは、生をあきらめ死をあきらめるのが、仏法のもっとも大事とするところだからである。」(道元:正法眼蔵・諸悪莫作)

原文「一塵をしるものは尽界をしり、一法を通ずるものは万法を通ず。万法に通ぜざるもの、一法に通ぜず。通を学せるもの通徹のとき、万法をもみる。一法をもみるがゆゑに、一塵を学するもの、のがれず尽界を学するなり。三歳の孩児は仏法をいふべからずとおもひ、三歳の孩児のいはんことは容易ならんとおもふは至愚なり。そのゆゑは、生をあきらめ死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり。」