「自己も時である。」「いったい、この世界は、自己をおしひろげて全世界となすのである。その全世界の人々物々をかり時々であると考えてみるががよい。すると、物と物とがたがいに相礙げることがないように、時と時とが相ぶつかることがない。だから、おなじ時に別の発心があることがあれば、おなじ発心が別の時にあるということもある。そして修行や成道についてもまたおなじである。自己をおし並べて自己がそれを見るのであるから、自己もまた時だというのは、このような道理をいうのである。」(道元:正法眼蔵・有時)
原文「われを排列しおきて尽界とせり。この尽界の頭頭物物を時時なりと覰見(しょけん)すべし。物物の相礙(そうげ)せざるは、時時の相礙せざるがごとし。このゆゑに、同時発心あり、同心発時なり。及び修行成道もかくのごとし。われを排列してわれこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとし。」