「あらゆる存在は連続する時々である。」「これを要約していえば、あらゆる世界のあらゆる存在は、連続する時々である。だが、それはまたある時であるから、またわがある時である。そのある時には経めぐる作用がある。いうところの今日から明日に経めぐる。今日から昨日に経めぐる。昨日から今日に経めぐる。また、今日から今日に経めぐり、明日から明日に経めぐる。その経めぐることは時のはたらきであるから、古今の時が相重なることもなく、積もるわけでもなく、ただ、青原も時であり、黄檗も時であり、江西も石頭も時である。自他それぞれすでに時であるから、また修行も時、証得も時であり、泥に入り水をわたって人々のために法を説くのも、また同じく時である。」(道元:正法眼蔵・有時)

原文「要をとりていはく、尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。有時に経歴の功徳あり。いはゆる、今日より明日に経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日へ経歴す、今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。経歴はその時の功徳なるがゆゑに。古今の時、かさなれるにあらず、ならびつもれるにあらざれども、青原裳時なり、黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。自他すでに時なるがゆゑに、修証は諸時なり。入泥入水、おなじく時なり。」