「凡夫のみかた」「いったい、いまの一般の人々の考え方とその由来するところは、凡夫の見るところではあるけれども、必ずしもすべて凡夫の法というもののみではない。時には法が凡夫のうえに作用していることもある。ただ凡夫は、その時にもこれが法であろうなどとは露思わないから、自分が丈六の金身の仏であろうなどとは思っても見ないのである。だが、われは丈六の金身などとは滅相もないと思うのも、またある時の一つであって、まさに、初心にして未だ証らざる者も「看よ、看よ」というのである。(道元:正法眼蔵・有時)

原文「いまの凡夫の見、および見の因縁、これ凡夫のみるところのなりといへども、凡夫の法にあにず。法しばらく因縁するのみなり。この時この有は法にあらずと学するがゆゑに、丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなはち有時の片片なり、未証拠者の看看なり。」