「ある時は如何にしてなるか」「いったい、時は鳥あみ鳥かごをもって捕らえることはできない。ただある時が成るのみである。いま彼方にあり此方にある天界の眷属たちも、いまわが力を尽すある時である。そのほか、水陸にある諸々の衆たちの存在も、わがいま力を尽くして顕現するある時である。あるいはまた、あの世この世にあるいろいろの類いの者の存在も、すべてわが尽力の形成するある時であり、わが尽力の経めぐるところである。わが尽力の到りおよぶにあらずしては、一物一事も実現することなく、経めぐりきたることはないと学ぶがよい。」(道元:正法眼蔵・有時)
原文「おほよそ籮籠にとどまらず、有時現成なり。いま右界に現成し、左方に現成する天王天衆、いまもわが尽力する有時なり。その余外にある水陸の衆有時、これがわがいま尽力して現成するなり。冥陽に有時なる諸類諸頭みなわが尽力現成なり。いまわが尽力経歴なり。いまわが尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし。経歴することなしと参学すべし。」