薬山弘道大師は、石頭の無際大師の支持によって、江西大寂禅師まみえて、問うていった。「わたしは、三乗十二分教を学んで、ほぼその主旨とするところを見極めることができましたが、いったい、達磨大師が中国にこられたのは、なんの意をもってでありましょうか。」この問いを迎えて、大寂禅師は答えていった。「ある時は、彼に教えて眉を揚げ目を瞬かしめ、ある時は、彼に教えて眉を揚げ目を瞬きせしめなかった。ある時には、彼に教えて眉を揚げ目を瞬きするが是といい、ある時には、彼に教えて眉を揚げ目を瞬きするのは不是であるといった。」薬山はそれを聞いて大いに悟るところがあり、大寂禅師に申していった。「わたしは、これまで石頭にいましたが、まるで蚊が鉄牛にとまっているようなものでございました」(道元:正法眼蔵・有時)
原文「薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて、江西大寂禅師に参問す、「三乗十二分教、某甲ほぼその宗旨をあきらむ、如何是祖師西来意」かくのごとくとふに、大寂禅師いはく、「有時教伊揚眉瞬目、有時不教伊揚眉瞬目、有時教伊揚眉瞬目者是、有時教伊揚眉瞬目者不是」薬山ききて大悟し、大寂にうす、「某甲かって石頭にありし、蚊子の鉄牛にのほけれるがごとし」。」