「意とは」「また、意というのは、悟りの実現の時である。句というのは、向上の関所のかんぬきほを開く時である。また、到というのは、解脱を得るの時であり、未到というのは、まさに到らんとしていまだ到らざる時である。そのように弁えるのがよく、なお時におよんで思いめぐらししてみるがよい。(道元:正法眼蔵・有時)

原文「また、意は現成公案の時なり、句は向上関棙の時なり。到は脱体の時なり、不到は即此離此の時なり。かくのごとく弁肯すべし。有時すべし。」