「われらははこの辺地うまれ、この末法に遇うた。まことに恨むべきことではあるが、この仏と仏の相承しきたった衣法に遇うことをえたのは、難という喜ばしいことか、いづこにかわが家門のように、釈尊の衣法とともに伝え来られたものがあろうか。これに遇いたてまってたれか尊崇し供養しないものがあろうぞ。たとい一日にして数かぎりない身命を捨てても供養したてまつるがよい。なおまた、生々世々に遇いたてまって、頂戴し供養し恭敬せんことを発願するがよい。われらは仏の生国を去ること十万余里の山海をへだて、到底かの仏土には到りえがたいけれども、なお宿善のいざなうところは、その山海にもさまたげられず、この辺土の愚蒙もその恩沢にもれるものではない。(道元:正法眼蔵・袈裟功徳)

  原文「まことにわれら辺地にうまれて末法にあふ。うらむべしとしへども、仏仏嫡嫡相承の衣法にあふたてまつる、いくそばくのよろこびとかせん。いずれの家門かわが正伝のごとく、釈尊の衣法ともに正伝せる。これにあふたてまつりて、たれか恭敬供養せざらん。たとひ一日に無量恆河沙の身命をすてても、供養したてまつるべし。なほ生生世世の値遇頂戴、供養恭敬を発願すべし。われら仏生国をへだつること、十方余里の山海はるかにして、通じがたしといへども、宿善のあひもよほすところ、山海の壅塞せられず、辺鄙の愚蒙きらわるることなし。」