「後韓の明帝の永平十年このかた、東西を往復する出家・在家は、踵を接して絶えなかたが、尚、西の方天竺にいたって仏祖正伝の祖師に会ったという者はなく、したがって、如来より面授・相承しきたれる系譜はなかった。ただ教師や論師ににしたがって、梵本の経典を招来するのみであった。仏法の正嫡の祖師にまみえたという者もなく、仏衣を相伝する祖師があると語った者もない。それでは、仏法の奥堂に入らなったことが明らかではないか。そのような人は、また仏祖正伝の意味も知らないのである。(道元:正法眼蔵・袈裟功徳)

原文「後韓孝明皇帝永平十年よりのち、西天東地に往還する出家在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして仏仏祖祖の祖師にあふといはず、如来より面授相承の系譜なし。ただ経論師にしたがうて、梵本の経教を伝来せるなり。仏法正嫡の祖師あふといはず、仏家祖相伝の祖師ありとかたらず。あきらかにしりぬ、仏法の閫奥にいらざりけりといふことを、かくのごときのひと、仏祖正伝の旨あきらめざるなり。」