「いったい、仏祖正伝の袈裟のことは、ごく明瞭にして信じやすい。正しく相承されてものであるから、もとのありようがそのまま伝えられ、それが現に目の前に存する。受持しきたり、嗣法(しほう)しきたって、いまに到っておる。それを受持した祖師たちは、みな法をさとり、法を伝える師であり弟子であった。とするならば、袈裟のことは仏祖正伝の法式よってなすべきである。それのみが正しく伝えられたものであるから、凡人も聖者も、人も神も、また龍神も、昔からみな承知しているところである。いまこの仏法の行われる世に生まれあうて、ひとたび袈裟をもってこの身をおおい、しばしなりとも受持するならば、それはとりも直さず、必ずや最高の智慧を成就する護身の符となるであろう。」(道元:正法眼蔵・袈裟功徳)

原文「おほよそ仏仏祖祖相伝の袈裟の功徳、あきらかにして信受しやすし。正伝まさしく相承せり、本様まのあたりつたはれり。いま現在せり、受持あひ嗣法していまにいたる。受持せる祖師、ともにこれ証契伝法の師資なり。しかあればすなはち、仏祖正伝の作袈裟の法によりて作法すべし。ひとりこれ正伝なるがゆゑに、凡聖・人天・龍神、みなひさしく証知しきたれるところところなり。この法の流布にうまれあひて、ひとたび袈裟を身心ににおほひ、刹那須臾も受持せん、すなはちこれ決定無上菩提の護身符子ならん。」

「符」とはまもり札。子は助辞。