「袈裟の材料」袈裟の材料には、絹と綿布とが適宜にもちいられる。必ずしも、綿布がよくて絹がいけないわけではない。また、めんぷをいとうて絹をとるという考え方もない。そのような考え方は、笑うべきことである。諸仏の常法は、必ず糞掃衣をよしとするのである。糞掃衣には十種があり、また四種がある。いうところの火焼・牛嚼・鼠噛・死人衣などがある。すべて印度の人は、かような衣はこれを巷野にすてる。それは糞掃におなじであり、よって糞掃衣という。修行者きこれをひろって洗い清め、縫い合わせて身を覆うに供する。その中には絹があり、また綿布ががあろう。だが、絹だ綿布だという考えを捨てて、ただ糞掃衣をと学べきである。むかし、比丘が阿耨達池において糞掃衣を洗ひし時、龍王がそれを讃歎して、花をふらせて礼拝したという。」

原文「その衣財、また絹・布よろしきにしたがふてもちゐる。かならずしも布は清浄なり、絹は不淨なるにあらず。布をきらふて絹をとる所見なし。わらふべし.諸仏の常法、かならず糞掃衣を上品とす。糞掃に十種あり、四種あり。いはゆる、火焼・牛嚼・鼠噛・死人衣等。五印度人、如比等衣、棄之巷野。事同糞掃、名糞掃衣。行者取之、浣洗縫治、用以て供身。そのなかに絹類あり、布類あり。絹・布の見をなげすてて、糞掃を参学すべきなり。糞掃衣はむかし、阿耨達池にして浣洗せしに、龍王讃歎し、雨華礼拝しき。

糞掃衣とは塵芥のようにすてられた布をもって造られた衣。阿耨達池とは、

雪山の北にある池の名称。そこに龍王がすむという。