一人の僧がある時、慧能に問うていった。「黄梅の夜半に伝えられた衣は、綿だったでしょうか。絹だったのでしょうか。いったい、どんなものだったのでしょう」慧能はいった。「それは絹でも綿でもない」しるがよい。袈裟は絹にあらず、綿にあらず。それが仏道の底知れぬ訓である。商那和修尊者は符法蔵の第三祖である。生まれた時には衣とともに生まれたという。またその衣は、在家の頃には俗服となり、出家すると袈裟となったという。また、蓮華色比丘は、過去世にあって願を発し、仏に毛氈を布施したてまつったので、その生々はいつも衣とともに生まれたという。そして、今生において、釈迦牟尼仏にまみえて出家するにあたっても、生まれた時の浴委衣をさのまま転じて袈裟となしたという。それも商那和修とおなじで、それによっても、袈裟は絹でも綿でもないことが判るではないか。まことや仏法の功徳がよく身心を転じ、諸仏を転することは、かくのごとくである。」(道元:正法眼蔵・袈裟功徳)
原文「ある僧かって古仏にとふ、「黄梅夜半の伝衣、これ布となりとやせん、絹なりとやせん。畢竟じてなにものなりとかせん」古仏いはく、「これ布にあらず、これ絹にあらず」しるべし、袈裟は絹・布にあらざる、これ仏道の玄訓なり。商那和修尊者は、第三の付法蔵なり。うまれるときより衣と倶生せり。この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。また、鮮百比丘尼、発願施氎ののち、生生のところ、および中有、かならず衣と倶生せり。今日釈迦牟尼仏にあふたてまつりて出家するとき、生得の俗衣、すみやかに転じて袈裟となるなり。和修尊者におなじ。あきらかにしりぬ、袈裟は絹・布にあらざること。いはんや仏法の功徳よく身心諸法を転ずること、それかくのごとし。」