「だから、諸仏の袈裟の材料や色彩や寸法についても、あれこれと明確に魔難でおんかねばならない。それは東西古今の祖師がたの学びかつ伝えうるところである。祖より祖にいたる正伝あきらかにして、疑う余地もないと知りながら、迂闊にもこのことを伝えないようなこともあらば、そりはいったい、何を考えているというのか。愚かのいたり、不信のゆえであろう。あるいは、実をすてて虚をもとめ、本をわすれて末にはしるものであって、如来を軽んずるものに他なるまい。」(道元:正法眼蔵・袈裟功徳)
原文「諸仏の袈裟の体色量の有量無量、有相無相、あきらめ参学すべし。西天東地、古往今来の祖師、みな参学正伝するところなり。祖師正伝のあきらかにしてうたがふところなきを見聞しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽(いぎょう)ゆるしがたからん。愚癡のいたり、不信のゆゑなるべし、実をすてて虚をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。これ如来を軽忽(きょうこつ)したてまつらん。」