「糞掃衣果最も最良」「袈裟のもっとも清らかな衣材は糞掃衣である。そのすぐれたることは、ひろく大乗・小乗の経・律・論のなかに明らかである。ひろく学んだ人々に問うてみるがよい。そのほかの材料についてもあわせて学がよい。それらはみな、仏祖のあきらかにして伝えきったところであって他の者のおよぶところではない。「中阿含経」にいう。「またつぎに諸君よ、ここにまた一人の人があって、その身は淨らかであるが、その口と意は淨らかでなかったとする。もしもそれを智慧ある者がみて、心に嫌悪の情を生じたとしても、その嫌悪の情は除かなければならぬ。諸君よ、またここに一人の人があって、その身には淨らかならぬことを行っているが、その口と意においては淨らかであるとする、それをもし智慧ある者が見て、心に嫌悪の情を生じたとしても、その嫌悪の情はなくしなければならない。諸君よ、それはちょうど空閑処にある比丘が糞掃衣をうるがごとくである。彼はそこで塵芥のなかに棄てられた弊衣の、あるいは大便によごれ、あるいは小便・つばき、その他の汚物によごれたのを見つける。すると彼は、それを左手でつまみ、右手でひろげて、大便などで汚れていない部分、あるいは穴のほげていない部分をえらび、その部分を裂いてとるであろう。それとおなじように、諸君よ、ここに一人の人があって、その身は淨むらかではないが、その口と意において淨らかであったならば、彼の身の淨らかぬことは放念して、ただ彼の口と意の淨らかなることを念ずるがよい。もし智慧ある者がそれを見て、心に嫌悪の情を生じたとしても、またいまの比丘のようにして、その嫌悪の情をとり除くがよいのである。」(道元:正法眼蔵・袈裟功徳)
原文「それ最第一清浄の衣財は、これ糞掃衣なり。ひの功徳、あまねく大乗小乗の経律論のなかにあきらんかなり、広学咨問すべし。その余の衣財、またかねあきらむべし。仏仏祖祖、かならずあきらめ、正伝しましますところなり、余類のおよぶべきにあらず。中阿含経曰、「復次諸賢、或有一人、身淨行、口意不淨行、若慧者見、設生恚悩、応当除之。諸賢、或有一人、身不淨行、口意淨行、若慧者見、設生恚悩、応当除之。当云何除。諸賢猶如阿練若比丘、持糞掃衣、見糞掃中所棄弊衣、或大便汗、或小便洟唾、及余不淨之所染汗、見己、左手執之、右手舒張、若非大便・小便・洟唾、及余不淨之所汗処、又不穿者、便裂取之。如是諸賢、或有一人、身不淨行、口意淨行、莫念彼身不淨行、伹当念彼口意之淨行。若慧者見、設生恚悩、応如是除。」