「そこでわたしはひそかに発願した。われ不肖なりとはいえ、なんとかして仏法の正しい嗣ぎ手となり、郷土の人々をあわれんで正法を伝え、仏祖正伝の衣法を見聞せしめたい、と。その発願はいまや空しからず、袈裟を受持する在家・出家のものもすくなくない。まったく歓ばしいことである。どうか、袈裟を受持する人々は、かならず日夜に推し頂いていただきたい。さすれば、その功徳は殊のほかにすぐれたものとなるであろう。一句一偈を見聞することも、いろいろの縁りあることであって、かならずしもわれらの住むこの世のこととのみは限らないという。だが、袈裟を正伝される機会は、どこにも滅多にあることではない。されば、袈裟を受持することわずか一日一夜なりとも、なおその功徳は最高のものであろう。」
原文「ときにひそかに、発願す。いかにしてかわれ不肖なりといふとも、仏法の嫡嗣となり、正法を正伝して、郷土の衆生をあはれむに、仏祖正伝の衣法を見聞せしめん。かのときの発願いまむなしからず、袈裟を受持せる在家出家之菩薩おほし。、歓喜するところなり。受持袈裟のともがら、かならず日夜に頂戴すべし。殊勝最勝の功徳なるべし。一句一偈の見聞は、若樹若石の見聞、あまねく九道にかきらざるべし。袈裟正伝の功徳、わずかに一日一夜なりとも最勝最上なるべし。」
九道とは、生きる者の住むところは、九処であるという。われらの住む世界ということばの意。