「唐の中宗・粛宗・代宗も、しばしばその衣を内裏に請じて供養したが、その際にも、迎えるにも送るにも、勅使をつかわし、詔をたまわった。すべてこのことを重んずるが故であった。代宗皇帝は、ある時、仏衣を曹谿山に奉送するにあたり詔していった。「いま鎮国大将軍劉宗景をして頂戴して送らしむ。朕これを国の宝となす。卿は、本寺に安置して、僧衆のしたしく宗旨を承くる者をして、おごそかに守護を加えしめ、遺墜せしむることなからしむべし」そのように、歴代の帝王たちも、みなみこれを国の重宝とした。まことに、仏衣が国にあるということは、数限り無い世界を統べるにもまさる大いなる宝である。卞和がみつけたという名玉などとは比すべくもないのである。たとい、それが国璽として伝えられようとも、とても仏の伝える宝とはなることはできないからである。」
原文「唐朝の中宗・粛宗・代宗、しきりに帰内供養しき。請するにもおくるにも、勅使をつかわし、詔をたまふ。すなはちこれおもくする儀なり。代宗皇帝、あるとき仏衣を曹谿山におくる詔にいはく、「今遣鎮国大将軍劉宗景、頂戴而送。朕為之国宝。卿可於本寺安置、令僧衆親承宗旨者、厳加守護、忽令遺墜」しかあればすなはち、数代の帝者、ともにくにの重宝とせり。まことに無量恒河沙の三千大世界を統領せんよりも、この仏衣くににたもてるは、ことにすぐれたる大宝なり。卞壁に準ずべからざるものなり。たとひ伝国璽となるとも、てかでか伝仏の奇宝とならん。」