「唐のこのよりこのかた、この仏衣を仰ぎ拝する僧俗、全てかならず仏法を信ずる人々である。宿善のもよおすところでなかったならば、いんかでかこの身をもって、目のあたりに、仏より仏につたえきたった仏衣を仰ぎ拝することができようか。これを信じ受ける人々はよろこぶがよく、信受することができぬ者は、自分のせいだとはいいながらも、仏種でないことを恨まなくてはなるまい。俗言にも、その人の足跡をみることは、すなわちその人を見ることである。いま仏衣を仰ぎたてまつるのは、とりもなおさず仏を見たてまつるのである。とするならば、この仏衣には百千万の塔をたてて供養するのがよいのである。たとい天上にあり海中にあっても、心あらむ者はこれを重んずるであろう。人間社会にあっても、転輪聖王(てんりんじょうおう)などのような、事の由を知り、その勝れる宝なることを知れる者は、かならずこれを重んずるであろう。
原文「大唐よりこのかた、瞻礼せる緇白、かならず信法の大機なり。宿善のたすくるにあらずよりは、いかでかこの身をもちて、4まのあたりに仏仏正伝の仏衣を瞻礼することあらん。信受する皮肉骨髄はよろこぶべし。信受すめことあたわざらんは、みづからなりといふとも、うらむべし、仏種子にあらざらんことを。俗なほいはく、そのひとの行李をみるは、すなはちその人みるなり。いま仏衣を瞻礼せんは、すなはち仏をみたてまつるなり。百千万の塔を起立して、この仏衣に供養すべし。天上海中にもこころあらんはおもくすべし。人間にも、転輪聖王等のまことをしり、すぐれたるをしらんは、おもくすべきなり。」
瞻礼:仰ぎみて礼拝するの意。宿善:宿は宿世、宿世は過去世の意。前世より積んできた善業の意。転輪聖王:インドにおける理想の王者、すぐれた国王をの意。