「いま、わが国には仏衣がとどまっている。仏衣の国土ともいうべきかと考えてみるがよい。それは遺骨よりも勝れているであろう。遺骨は転輪聖王にもあり、獅子にもあり、人にもあり、あるいは小乗の聖者にもある。だが、転輪聖王には袈裟はない。獅子にも袈裟はない。人にも袈裟はない。ひとり諸仏にのみ袈裟がある。ふかく信じ受けるがよい。いまの愚かなる人々は、たいてい舎利を重んずるようだが、袈裟のことは知らず、袈裟の護持すべきことを知るものは稀である。それは、これまでに袈裟の重要なことを聞いたものが稀であり、仏法の正伝のなんたるかを知らないからである。」
原文「わがくにに仏衣とどまりて現在せり。衣仏国土なるべきかとも思惟すべきなり。舎利等よりもすまぐれたるべし。舎利は輪王にもあり、獅子にもあり、人にもあり、乃至辟支仏(びやくしぶつ)等にもあり。しかあれども、輪王には袈裟なし、獅子にも袈裟なし、人に袈裟なし。ひとり諸仏のみに袈裟あり、ふかく信受すべし。いまの愚人、おほく舎利はおもくすといへども、袈裟をしらず、護持すべきとしれるまれなり。これすなはち、先来より袈裟のおもきことをきけるものまれなり、仏法正伝いまだきかざるゆゑにしかあるなり。」