「仏衣の功徳」「袈裟はむかしから、熱悩を除く服といわれ、また解脱の服と称せられる。おおよそその功徳は測りしることができない。龍に三熱ありというが、龍がもし袈裟の一本の糸にふれることをうれば、それを免れることができるという。もろもの仏は、その成道にあたっては、かならずこの衣をもちいるのである。われらはこの辺地に生まれ、末法の而説におうたのであるが、もし相伝のあるとなきとを比べるならば、むろん、正しい相伝のあるものを信受し護持すべきである。しかるに、いずれの家門にか、わが伝えし釈尊の衣法のような正しい相伝があろうか。それはひとり仏道にのみあるのみである。この衣法に遇ったならば、誰も尊敬供養を怠ってはなるまい。たてい一日らして無量の身命をすてても供養するがよく生々世々を重ねても値いたてまつり頂戴せんことを発願するがよい。〔正法眼蔵)
原文「袈裟をば、ふるくよりいはく、除熱悩服となづく、解脱服となずく。おほよそ功徳はかるべからざるなり。龍鱗の三熱、よく袈裟の功徳により解脱するなり。諸仏成道のとき、かならず此衣をもちゐるなり。まことに、辺地にうまれ、末法にあふといへども、相伝あると相伝なきとたくらぶることあらば、相伝の正嫡なるを信受護持すべし。いづれの家門にか、わが正伝ごとく、まさしく釈尊の衣法ともに正伝せる。ひとり仏道のみにあり。この衣法にあはんとき、たれか恭敬供養をゆるくせん。たとひ一日に無量恒河沙の身命をすてて供養すべし、生生世世値遇頂戴をも発願すべし。」