「そのような仏衣の功徳は、仏の正法をつたえる祖師ならぬものの、まだ夢にも知らないところである。ましてや、その布財や色彩や寸法などのことも知っていようはずはない。諸仏のあとを慕わしと思うならば、まさにこの仏衣を慕うがよい。たとい百千万代をへだてようとも、これを正しく伝えるならば、それがまさに仏法なのである。その証はあきらかである。。俗間でもなお、「先王の服にあらざれば服せず、先王の法にあらざればおこなわず」というではないか。仏道もまたそうなのである。先仏の法衣でなければ用いてはならない。若し先仏の法衣でなかったならば、なにを着用して仏道を修行するのか、なにを纏うて諸仏にまみえんとするか。これを着なくては、仏の集会に参加するわけにはゆかないのである。」(道元:正法眼蔵)

原文「この仏衣の功徳、その伝仏正法の祖師にあらざる余人、ゆめにもいまだしらざるなり。いはんや体・色・量をあらむるにおよばんや。諸仏のあとをしたふべくは、まさにこれをしたふべし。たとひ百千万代ののちも、この正伝を正伝せん。まさに仏法なるべし。証験これあらたなり。俗なほいはく、先王の服にあらざれば服せず、先王の法にあらざればおこなはず。仏道もまたしかあるなり、先仏の法服にあらざればもちゐるべからず。もし先仏の法服にあらざらんほかは、なにを服してか仏道を修せん、諸仏に奉覲せん。これを服せざらんは、仏会にいりがたかるべし。」