「袈裟の着方4」「俗間の諺にも「千聞は一見にしかず、千見は一経にしかず」という。それによって省みても、たとい千見万聞があろうとも、それは一得にしくはなく、仏衣派生伝するにまさるはない。正伝あるを疑うものは、正伝などとは夢にも知らないから、いよいよ疑うであろう。経典によって伝え聞くよりも、仏衣を正伝せられたならば、それはなお直截的であろう。いくたび経によって読もうとも、ひとたび身をもって得るには、とうい及ぶまい。仏祖はそれをびたりと身をもって会得したのであるから、教法や戒律学者などとは比べることはできない。」(道元:正法眼蔵)

原文「俗諺にいはく千聞は一見にしかず、千見は一経にしかず。これをもてかへりみれば、千見万聞たとひありとも、一得にしかず、仏衣正伝せるにしくべからざるなり。正伝あるをうたがべくは、正伝をゆめにもみざらんはいよいようたがふべし。仏経を伝聞せんよりは、仏衣正伝せらんはしたしかるべし。千経万得ありとも、一証にしかじ。仏祖は証契なり、教律の凡流(ぼんる)にならふべかず。」

千経:この経は体験の意。証契;証はさとり、契はあう。仏祖のさとるところがぴたりとそこに到っているの意。