「また、仏法の伝受を受けるには、かならず悟りを得た人をその師匠とするがよろしい。ただ文字にのみこだわる学者は、その導師とするに足りない。それでは、まるで盲人が盲人たちを案内するようなものである。いま、この仏祖正伝の門においては、みんな悟って道をなした老師をうやまって、仏法を護持せしめている。だからして、あの世この世の神々きたって帰依し、あるいは、すでに悟りを得た聖者もきたって法を問うことがあるが、そのような時にも、かならずそれぞれに、仏祖所伝の心をあかす方法を与えるのである。そんなことは、てまだかって聞かないところである。仏弟子というものはただ仏法をならうのがよいのである。」(道元:正法眼蔵)
原文「又仏法を伝受することは、かならず証契の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる学者をもてその導師とするにたらず、一盲の衆盲をひかんがごとし。いまこの仏祖正伝の門下には、みな得道証契の哲匠をうやまひて、仏法を住持せしむ。かるがゆゑに、冥陽の神道もきたり帰依し、証果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさづけずといふことなし。余門にいまだきかざるところなり。ただ仏弟子は仏法をにらふべし。」
心地とは、達磨所伝の心をいう。

