「坐禅についての疑問にこたえる1」「問うていう。いうところの三学のなかには定学がある。また、六波羅蜜のなかには禅波羅蜜がある。いずれもあにゆる仏道の修行者かぜ、その初心からまなぶところであって、利根たると鈍根たるをとわず修するところである。いまいうところの坐禅も、その一つであろう。それなのに、いったい、なにによって、そのなかに如来の正法をあつめているというのであるか。示していう。思うに、いまこの二を来の出世の目標たる正法の眼目、最高の大法をただ禅宗となづけるがゆえな、このような問いがおこってくるのである。知るがよい。この禅宗という名は、中国以東においておこめるものであって、印度では聞かないところである。はじめ達磨大師は、嵩山の少林寺にいたって、九年のあいだ壁に向かって坐した。しかるに、まだ僧侶も俗人も仏の正法のなんたるかを知らないものだから、それをただ坐禅を主とする婆羅門だといった。また、その後の代々の祖師たちも、みないつも坐禅をもっぱらとした。それをみたおろかな俗人たちは、その実を知らないで、むやみに坐禅宗といった。それを、いまの世においては、坐の語を省いて、ただ禅宗というのである。その意味するところは、もろもろの祖師の語録にあきらかである。六波羅蜜や三学のなかの禅定と一緒にしていうべきものではない。(道元:正法眼蔵)
原文「とうていはく、三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかの如来の正法あつめたりといふや。しめしていはく、いまこの如来一大事の正法眼蔵、無上の大法を禅宗となづくゆゑに、この問きたれり。しるべし、この禅宗の号は、神丹におこれり。竺乾にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず。坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち大

