「修証一等ということ」「また、大宗国においてまのあたり見たところによれば、諸方の禅院には、すべて坐禅堂むがあって、五百六百から千人二千人におよぶ僧を収容して、日夜に坐禅をすすめていた。その席主には、仏の心印を伝える師匠か゜ふって、つねに仏法の大意をくわしく聞くのであるから、修と証とが別のものではないことがよく理解されていた。だからして、席主もまた、自分の門下に集まった者ばかりではなく、すぐれた求法者、仏法のなかに真理真理をたずねる人など、初心と後心とをえらばず、俗人と出家たるとを論ぜず、すべて仏祖の教えにより、師僧の道したがって、坐禅して道を修するがよいとすすめるのであった。みなさんも聞いたことがありはしないか、祖師はいった。「修といい証ということがないわけいではない。ただ取捨してはいけない」と。また、祖師はいった「道を見た者が道ょ修するのだ」と。知るがよろしい、得道のなかにあって修行するのがよろしいといっておるのである。」(道元:正法眼蔵)

原文「又まのあたりに大宗国にしてみしかば、諸方の禅院はみな坐禅堂をかまへて、五百六百、および一二千僧を安じて、日夜に坐禅をすすめ、その席主とせる伝仏心印の宗師に、仏法の大意をとぶらひしかば、修証の両段にあらぬむねをきこえき。このゆゑに、門下の参学のみにあらず、求法の高流(こうる)、仏法のなかに真実をねがはん人、初心、後心をえらばず、凡人聖人を論ぜず、仏祖のおしへにより、宗匠の道をおうて、左膳弁道すべしとすすむ。きかずや祖師のいはく、修証はすなはちなきにあらず、染汗することはえじ。又いはく、道をみるもの、道を修すと。しるべし、得道のなかに修行すべしといあことを。」

「後心」初心の対。ずっと以前にに発心したものである。「得道」仏道を証すること。すなわち証である。