「大寂がいった。「では、いかがしたらならば善いでありましょうか」そのいい方は、もっぱら世間のそこらの辺りで聞く問いによく似ているが、それはまた、出世間のかしこの消息をも問うているのである。たとえば、親友の親友に会った時のようなものであって、わたしの親友は、また彼にも親友である。つまり、どうしたらよいかとの問いは、同事にその両方に通ずるのである。(道元:正法眼蔵)

原文「大寂いはく、「如何即是」いまの道取、ひとすぢに這頭(しゃとう)の問著に相似せりといへども、那頭の即是をも問著するなり。たとへば、親友の親友に相見(しょうけん)する時節をしるべし。われに親友なるはかれに親友なり。如何即是、すなはち一時の出現なり。」

「這頭」ここ、こちらの意。ここでは世間をゆびさしている。「那頭」かしこの意。ここでは出世間を意味している。