「そういうことで、古来からのことを尋ねてみても、坐禅の坐禅たる所以を知るものはすくない。いま大宗国の諸山に一寺の住職としてあるものでも、坐禅を知らず、学ばぬものもおおい。よく判っているねる者もないではないが、ごくすくないのである。もろもろの寺においては、むろん、坐禅の時期がきまっておる。住職をはじめとしてもろもろの僧にいたるまで、すべて坐禅することを本文とし、また、仏教を学ぼうとする人々にも坐禅をすすめる。それでいて、坐禅のなんたるかを知る住職はまれなのである。」

原文「しかあればすなはち、古来なりといへども、坐禅を坐禅なりとしれるすくなし。いま代現在大宗国の諸山に甲刹の主人とあるもの、坐禅をしらず、学せざるおほし。あきらめしれるありといへどもすくなし。諸寺にもとより坐禅の時節さだまれり。住持つより諸僧、ともに坐禅する本文の事とせり。学者を勧誘するにも、坐禅をすすむ。しかあれども、しれる住持人はまれなり。」