「東山は水上を行く」「雲門匡真大師は、「東山は水上を行く」といった。そのことぱの意味するところをいえば、東山とは諸山である。そしてすべての東山が水上を行く。それによって、須弥山やその他の山々が形成され、その姿をなした。それを東山といっておるのである。だがしかし、雲門ははたしてその東山のふかき真相とはたらきによく通じきっていたであろうかどうか。いまの大宗国には、一群の杜撰のやからどもがはこびっていて、すこしばかり本当のことをいっても、いっこうに打撃をあたえるきない有様である。彼らは、いまの「東山水上行」のはなしや、南泉の 「鎌子」(けんす)の話などは無理会話というものだという。その意味は、もろもろの思惟にかかわる語話は、仏祖の禅語というものではなく、理解できない話こそ仏祖の語話だというのである。さればこそ、黄檗の棒や、臨済の喝などは、理解のおよびがたく、思惟のかかわるところでないが、これこそ無始以前の大悟というものである。先徳の手段がたいてい、煩わしき言辞を離れて、ずばりとした句をもってするのは、それが無理会だからだというのである。(道元:正法眼蔵・)

原文「雲門匡真大師いはく「東山水上行」。この道現成の宗旨は、諸山は東山なり、一切の東山は水上行なり。このゆへに、九山迷蘆透現成せり、修証せり。これを東山といふ。しかあれども、雲門いかでか東山の皮肉骨髄・修証活計に透脱ならむ。いま現在大宗国に杜撰のやから一類あり、いまは群をなせり。小実の擊不能なるところなり。かれらいはく、いまの東山水上行話、および南泉の鎌子話ごときは、無理会話なり。その意旨は、もろもろの念慮にかかはれる語話は仏祖の禅語にあらず、無理会話これ仏祖の語話なり。かるがゆへに、黄檗の行棒および臨済の挙喝、これら理会およびがたく、念慮にかかはれず。これを朕兆未萌以前の大悟とするなり。先徳の方便、おほく葛藤断句をもちゐるといふは、無理会なり。」