「かくて水の成就し所有する功徳は、誰も怪しむことはできない。時に及んでは、十方の水を十方においてみることを学ぶがよい。」いや、人間が水を見る時のことのみではない。水を水が見る時のことをも学ぶがよい。水が水を見究めるのであるから、水が水を表現するのである。それによって人は、自己が自己に相逢うべき路を見出すこともできるであろう。また、他己が他己を究める活路を見出し、凡俗の常情を超越することもできるのである。」(道元:正法眼蔵)

原文「しかあればすなはち、現成所有の功徳をあやしむことあたわず、しばらく十方の水を十方にして著眼看(じやくがんかん)すべき時節を参学すべし。人天の水をみるときのみの参学にあらず、水の水を見る参学あり。水の水を修証するがゆへに、水の水を道著する参究あり。自己の自己に相逢する通路を現成せしむべし。他己の他己を参徹する活路を進退すべし、超出すべし。」