「わたしは、宗にあったころ、嗣書を拝することができたが、いめろいろの嗣書があった。そのなかでも、惟一西堂とて天童山に掛錫していたのは破格の人事であった。以前は広福寺の住持であって、先師如淨と同郷人であったから、先師はよく「わしの国のことは西堂に聞くがよい」といっておった。その西堂があるとき、わたしに語りかけて「古い筆蹟のよいものは人間の宝じゃ。いろいろと見たことがあるか」といった。わたしは、「あまり見たことがない」旨答えた。すると西堂は、わしのところに一軸の古蹟がある。どんなものともいいにくいが、老兄に見せてあげよう」といって、持ってきたものを見ると嗣書であった。法眼の門流の嗣書であったのを、その長老の遺品のなかからえたということで、惟一長老のものではなかった。そこには、「初祖摩訶迦葉は、釈迦牟尼仏に悟り、釈迦牟尼仏は迦葉仏に悟る」と書かれてあった。わたしはそれを見て、正しい嗣ぎ手から正しい嗣ぎ手に嗣法するということを、はっきりと信受することができた。いまだかってないことである。仏祖が冥々のうちに遠き弟子を護りたもうたというものであって、感激の思いしとどに勝えざるものがあった。」(道元:正法眼蔵・嗣書)
原文「道元在宗のとき、嗣書を礼拝することをえしに、多般の嗣書ありき。惟一西堂とて、天童に掛錫せしは、越上の人事なり、前住広福寺の堂頭なり。先師と道教なり。先師つねにいはく、境風は一西堂に問取すべし。あるとき、西堂いはく、「古蹟の可観は人間の珍玩なり、いくばくか見来すくなし」ときに西堂いはく、「吾那裏に壱軸の古蹟あり、甚麼次第(いんみしだい)なり、与老兄看」といひて、携来をみれば、嗣書なり。法眼下のにてありけるを「老宿の衣鉢のなかよりえたりけり。惟一長老のにはあらざりけり。かれにかきたりしは、「初祖摩訶迦葉、悟於釈迦牟尼仏 釈迦牟尼仏、悟於迦葉仏」かくのごとくかきたり。道元これをみしに、正嫡の正嫡に嗣法あることを決定信受す。未曾見の法なり、仏祖の冥感して児孫を護持する時節なり。感激不勝なり。」

