「近来のやり方は、ただその師の下で力を得れば、その師を師として嗣法するのである。もちろん、かってその師の下で印可を得なかったが、あるいはその師の室に入り、あるいは法堂で説法を聞き、ただ大衆の座にあって修行したという者が、ひとたび一寺に住するにいたると、しきりにその師の法をあげて語るということもある。だが、やはり、大事をおわるという時には、その師を師とするのがならいである。また、竜門の仏眼禅師静温和尚の流れを汲むもので、伝蔵主という者があって、かの僧もまた嗣書をもっていた。嘉定年間のはじめのこと、隆禅長老なる日本人があって、伝蔵主が病気をした時にねんごろに看病し、よく働いてくれたので、伝蔵主はその労を謝すめるために、その嗣書をとりだして見せてくれた。これは見難いものものであるが、汝がために礼拝せしめようということであった。それから八年ののち、嘉定十六年の秋ころ、わたしがはじめて天童山にいたると、隆禅長老は、親切にも、わたしを伝蔵主のところに招じて、その嗣書をみせてくれた。その嗣書の内容は、七仏より臨済にいたるまで、ずらりと四十五祖をつらね記し、臨済より後の師は、一つの円を描いて、その中にぐるりと法諱(ほうき)と華字が書きめぐらされていた。そしてあたらしい法嗣の名は、おわりに年月を記した下に書いてあった。臨済の門流の長老たちにも、このようにいろいろの不同があると知るがよい。」(道元:正法眼蔵・嗣書)

原文「近来の法は、だその師の会にて得力(とくりき)すれば、すなはちかの師を師と嗣法するなり。かってその師の印をえざれども、ただ入室上堂に咨参(しさん)して、長連牀にあるともがら、住院のときは、その師承を挙するにいとまあらざれども、大事打開するとき、その師を師とせるのみおほし。また竜門の仏眼禅師清遠和尚の遠孫にて、伝蔵主といふものありき。かの、伝蔵主、また嗣書を帯せり。嘉定のはじめに、隆禅上座、日本国人なりといへども、かの伝蔵主やまひしけるに、隆禅よく伝蔵主を看病しけるに、勤労しきりなるによりて、看病の労を謝せんがために、嗣書をとりいだして礼拝せしめり。「みがたきものなり。与你(なんじ)礼拝」といひけり。それよりこのかた、八年ののち、嘉定十六年癸未(きび)あきのころ、道元はじめて天童山に寓直(ぐうちょく)するに、隆禅上座、ねんごろに伝蔵主に請して、嗣書を道元にみせし。その嗣書の様は、七仏よりのち、臨済にいたるまで、四十五祖をつらねかきて、臨済よりのちの師は、一円相をつくりて、そのなかにめぐらして、法諱(ほうき)と華字とをうつしかけり。新嗣はおはりに、年月の下頭にかけり。臨済の尊宿に、かくのごとくの不同ありとしるべし。」

「入室:久しく修行をかさねた弟子は、親しく師家の室にはいって、その所得を呈して問うことを許される。」「上堂;法堂にのぼる意。師家が法堂にいでて、高座にのぼって法を説くことである。」「上座:長老のこと。禅林では師家や学人にたいしてもちいる呼称」