「臨済の嗣書」「臨済の嗣書は、まずその見名字をしるして、某々はわれに参じた」とも書き、「わが会下につらなつた」とも書き、「おわが億堂に入る」とも書き、あるいは、「われに嗣ぐ」とも書いて、それから歴代の仏祖をつらね記すのである。それにも、いささか言い伝え訓(おし)がある。その主たる趣は、嗣法は終わりの師初めの師にかからず、ただ、真の善知識に見えることにありとする。それは的を射たものである。臨済の嗣書には、つぎのように書いたものもある。直接にみたものであるから記しておく。「了派蔵子は、威武の人なり。いま吾が子なり。徳光は怪山杲(こう)和尚に参侍し、怪山は夾山(かつさん)の勤(ごん)に嗣し、勤は楊岐の演に嗣し、演は界会の端に嗣し、端は楊岐の会に嗣し、会は慈明の円に嗣し、円は汾陽の昭に嗣し、昭は首山の念に嗣し、念は風穴の沼に嗣し、沼は南院の顒(ぐう)に嗣し、顒は興化の弉(じょう)に嗣し、弉はこれ臨済高祖の長嫡なり」これは、阿育王山の仏照禅師徳光が書して、了派無際禅師に与えたものであって、無際禅師が天童山の住持であったころ、若い弟子智庚なるものが、そっと持ってきて、了然寮においてわたしに見せてくれたのである。時に、宗の嘉定十七年正月二十一日であった。わたしは初めてこれを見て喜びに堪えず、仏祖の冥々なる感応を思った。そこで焼香し、礼拝して、披いてみた。」(道元:正法眼蔵・嗣書)

原文「臨済の嗣書は、まづその名字をかきて、某甲子われに参ずともかき、わが会にきたりともかき、入吾堂奥ともかき、嗣吾ともかきて、ついでのごとく前代をつらぬるなり。かれもいささかいひきたれる法訓あり。いはゆる宗趣は、嗣おはりはじめにかかはれず、ただ真善知識に相見する的的の宗旨なり。臨済にはかくのごとくかけるもあり。まのあたりにみしによりてしるす。了派蔵主者、威武人也。今吾子也。徳光参侍怪山杲和尚、怪山嗣夾山勤、勤嗣楊岐演、演嗣海会端、端嗣楊岐会、会嗣慈明円、円嗣汾陽昭、昭嗣首山念、会嗣風穴沼、沼嗣南院顒、顒嗣興化弉。弉是臨済高祖之長嫡也。これは阿育王山仏照禅師徳光、かきて派無際にあたふるを、天童の住持なりしとき、小師僧智庚(ちゆ)、ひそかにもちきたりて、了然寮にて道元にみせし。ときに大宗嘉定十七年甲申正月二十一日、はじめてこれをみる。喜感いくそばくぞ。すなはち仏祖の冥感なり。焼香礼拝して披看す。」