「正法眼蔵 法華転法華 仁治二年夏安居日 これを書いて慧達禅人に授く。彼の出家修道を歓喜するがゆゑである。ただ鬢髪(びんぱつ)を剃るのもなおよき事である。髪を剃りまた髭をそるならば、それこそ真の出家者というものである。今日の出家のことは、これまでの転法華のおのずから然らしむる果報である。いまの法華、またかならず花開いてその果を結ぶであろう。それは釈迦の法華にあらず、諸仏の法華でもない。法華のまさしき法華である。これまでの転法華も、そのあるがままの姿は知られなかったであろう。だが、いまよりのちの法華は、さらに気付かぬうちに現れるであろう。これまでにも出る息があれ入る息があった。これからも出る息入るである。これまことに不思議な法華として頂戴するがよい。 開山観音導利興聖宝林寺入宗伝法沙門 道元記(挿華字)

原文「正法眼蔵 法華転法華 仁治二年辛丑夏安居日、これをかきて慧達禅人にさづく。これ出家修道を歓喜するなり。ただ鬢髪をそる、なほ好事なり。かみをそりまたかみをそる、これ真出家児なり。今日の出家は、従来の転法華の如是力の如是果報なり。いまの法華、かならず法華の法華の法華果あらん。釈迦の法華にあらず、諸仏の法華にあらず、法華の法華なり。ひごろの転法華は、如是相も不覚不知にかかれり。しかあれども、いまの法華さらに不識不会にあらはる。昔時も出息入息なり。今時も出息入息なり。これを妙難思の法華と保任すべし。  開山観音導利興聖宝林寺 入宗伝法沙門道元記 挿華字