0463-84-3631
薬山弘道大師は、石頭の無際大師の支持によって、江西大寂禅師まみえて、問
「思うに、経めぐり来るといえば、風の吹き来たり、雨の降り去るように思う
「ある時は如何にしてなるか」「いったい、時は鳥あみ鳥かごをもって捕らえ
「また、時は一向に過ぎゆくものとのみ考えて、そのいまだ到らざるを理解し
「事のありようの活潑々地としているのが時である。」「たとえば、いまこの
「凡夫のみかた」「いったい、いまの一般の人々の考え方とその由来するとこ
「あらゆる存在は連続する時々である。」「これを要約していえば、あらゆる
「時は去らず」「三面・八臂はきのうの時であった。丈六・八尺は今日の時で
「時とはもはや飛び去るものとのみ考えるべきではない」「されなのに、まだ
「現象や草木のひとつひとつがそれぞれの全世界をもっている」「そのような