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粥飯たりて仏性あきらか「そこで黄檗は「不敢え」つまり「いえ、けっして」
黄檗は答えて、二六時中、一物に依倚(えい)せず」といった。十二時の時々
「定と慧について南泉と黄檗の問答」「黄檗が南泉の茶室にあって坐っていた
百丈禅師の仏性「百丈山大智禅師は、衆にしめしていった。「仏最高者である
大円禅師の一切衆生無仏性「さらに思いめぐらしてみるがよい。いったい、ど
大円禅師の一切衆生無仏性「大潙山の大円禅師は、あるとき、衆に示していっ
西安禅師の有仏性2「そこでまた、一切衆生即有仏性といわず一切衆生有仏性
「西安国師の有仏性」杭州塩官県の西安国師は、馬祖門下の長老である。ある
「おそらくは、それを描くことはできないものであろう。法はすべて描かない
「かってわたしは遊学して大宋国にあり、嘉定十六年(1223)の秋ころ、