「妙信尼がその職について廨院にいるき、蜀の僧むたち十七人が団体をくんで、師をたずね道を問うというので、仰山に登ろうとして、夕暮れに廨院に泊またことがあった。しばらく休息してからの夜話に、六祖慧能がいうところの風幡の話がでた。十七人がそれぞれにいうところはみな駄目であった。その時、廨院の主妙信尼は、壁を隔ててそれを聞いて、「あの十七人のめくら驢馬どもは、まあ惜しいことに、どれだけの草鞋を踏みつぶしたのであろうか。まだ仏  法は夢にも見たことがないらしい」といった。その時、一人の院の雑役の者があって、院主が彼らをこきおろすのを聞いていて、それをかれら十七人に告げた。彼らはみんなその批評に不平もいわず、おのれの到らないことを恥じて、すぐさま衣服をととのえ焼香し礼拝して教えを乞うた。

原文「充識して廨院にあるとき、蜀僧十七人ありて、党をむすびて尋師訪道するに、仰山に登らんとして、薄暮に廨院に宿す。歙息(けっそく)する夜話に僧谿高祖の風幡(ふうばん)の話を挙す。十七人のおのおののいふこと、みな道不是なり。ときに廨院主、かべのほかにありてききていはく、十七頭の瞎驢(かつろ)、おしむべし、いくばくの草履をかつひやす、仏法也未夢見在。ときに行者ありて、廨院主の僧を不是するをききて、十七僧にかたるに、十七僧ともに廨院主の不肎するをうらみず、おのれが道不得をはぢて、すなはち威儀を具し、焼香礼拝して請問す。」

風幡の話:「不是風動、不是幡動、仁者心動耳」(これ風動くにあらず、これ幡の動くらうらず、仁者の心動くのみ)と語った慧能のことば。