「衆僧の主たるべきものは、かならず明眼の者でなければならない」「廨院主はいった。「もっと前においで」彼らがが前に進んでまだ座りきらぬ時、妙信尼はいった。「それは風が動くものでもない。幡が動くものでもない。また心が動くものものでもない。」そのように説いたとき、十七人の僧たちはみな省みるところがあって、お礼を述べ、師弟の礼をとり、いそぎ西の方蜀に帰っていった。仰山はついに登らなかった。これもまた、三賢や十聖のおよばざるところであって、まさに仏祖直伝の心ばえというべきである。そういうことであるから、いまも住職や副住職の地位があいている時には、比丘尼の得法したものを請ずるがよい。高年の比丘の長老であっても法を得なければ何の用にもたたない。衆僧の主たるべきものは、かならず明眼の者でなければならない。(道元:正法眼蔵・礼拝得髄)
原文「廨院主いはく、「近前来」十七僧近前するあゆみいまだやまざるに、廨院主いはく、「不是風動 不是幡動 不是心動」かくのごとく為道するに、十七僧ともに有省なり、礼謝して師資の儀をなす。すみやかに西蜀にかへる、つひに仰山にのぼらず、まことにこれ三賢十聖のおよぶところにあらず、仏祖嫡嫡の道業なり。しかあれば、いまも住持及び半座の職むなしからんときは、比丘尼の得法せらんを請すべし。比丘の高年宿老なりとも、得法せざらん、なんの要かあらん。為衆の主人、かならず明眼によるべし。」