「敬うのはその得たる法である。」「また中国や日本においては、古も今も、女人にして帝位にあるものがあるが、その国土はみな帝王の所領であり、人はみなその臣下となる。それはその人を敬うのではなくて、その位を敬うのである。比丘尼もまたおなじであって、昔から、その人を敬うのではなくて、ひとえにその得たる法をうやまうのである。また、聖者になった比丘尼があれば、かの四果にしたがう功徳はみな来たりあつまる。功徳にしてなお然るのである。世の人誰かこれにまさるものがあろうか。三界の神々もみな及ぶところではない。そもそも、すべて出家となれば、神々もみなこれを敬う。ましてや、如来正法を伝承し、菩薩の大願をおこすとなれば、誰が敬わないものがあろうか。それを敬わないのは、自分がおかしいのである。けだし、最高の智慧を敬わなかったならば、それは法を謗る愚か者なのである。」(道元:正法眼蔵・礼拝得髄)

原文「また和漢古今に、帝位にして女人あり。その国土、みなこの帝王の所領なり。人みなその臣となる。これは人をうやまふにあらず、位をうやまふなり。比丘尼もまたその人をうやまふことは、むかしよりなし、ひとへに得法をうやまふなり。また阿羅漢となれる比丘尼あるには、四果にしたがふ功徳みなきたる。功徳なほしたがふ、人天たれか四果の功徳よりもすぐれん。三界の諸天、みなおよぶ処なり。況んや如来の正法を伝来し、菩薩の大心をおこさん、たれのうやまはざるかあらん。これをうやまはざらんは、おのれがをかしなり。おのれが無上菩提をうやまはざれば、謗法の愚痴なり。」

阿羅漢:聖者の意。三界:欲界・色界・無色界の意。欲界とは人間欲望の世界であり、色界とは現象の世界。そして無色界とは叡智の世界。