男女を差別すべからず「また唐の国にも愚かな僧があって、「生々世ながく女人を見ず」と願を立てたことがある。。その願いはいったいなんの道理によるであろうか。世間の道理によるか、仏法の道理によるか、外道の道理によるか、それとも天魔の理によるのであろうか。女人になんの咎があるのか。男子になんの徳があるか、悪人は男子にもあり、善人は女子にもある。法を聞かんことを願い、迷いの世を出たいと願うのは、けっして男子に限らず女人に限らない。もしいまだ惑いを断たぬとはきには、男子も女子もおなじく凡夫である。惑いを断ち、理を証するとくも、また男女によって何の差別もないのである。また、もし、女人を見まいと願をたてたならば「衆生無辺誓願度」というとき、女人はこれを捨てるのであるか。もし捨てたならば、菩薩ではあるまい。仏の慈悲とはいうまい。それはだ、小乗の聖者の酒に酔うた酔狂のことばにすぎない。よの人はそれを本当と思ってはならぬ。」(正法眼蔵/礼拝得髄)
原文「また唐国にも愚癡僧ありて願志を立するに云く、生生世世、ながく女人を見ることなからん。この願、なにの法にかよる。世法によるか、仏法によるか。外道の法によるか、天魔の法によるか。女人なにのとがかある。男子なにの徳かある。悪人は男子も悪人なるあり、善人は女人も善人なるあり。聞法をねがひ、出離をもとむること、かならす男子・女人によらず。もし未断惑のときは、男子・女人同じく未断惑なり。断惑証理のときは、男子・女人、簡別(けんべつ)さらにあらず。また長く女人をみじんと願せば、衆生無辺誓願度のときも、女人をばすつべきか。捨てては菩薩にあらず、仏慈悲といはんや。ただこれ声聞の酒にゑふことふかきによりて、酔狂の言語なり。人天これをまここと信ずべからず。」