「女人禁制の結界は正しい法ではない」「また我が国にひとつの笑うべきことがある。それは、あるいは結界といい、あるいは大乗の道場と称して、尼僧・女人の入ることを禁じていることである。その誤まれる風習がひさしく伝えられて、人はその道理を考えてみようともしない。学問の人もあらためようとはせず、博識の人も考えて見ようとはしない。学問の人もあらためようとはせず、博識の人も考えようとはしない。ただあるいは権者の定めるところといい、あるいは古人の遺したならいだといって、一向に批判為ることもないのは、まったくおかしなことである。いったい、権者とは何者か。賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、それとも等覚か妙覚か。また、古いか゜ゆえに改めてはならぬとするならば生死流転をもまた捨ててはならぬのか。」(道元:正法眼蔵・礼拝骨髄)
原文「また日本国にひとつのわらひごとあり。いはゆる、あるひは結界の地と称し、あるひは大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を来入せいめず。邪風ひさしくつたはれて、人わきまふることなし。稽古の人あらためず、博達の士もかんかふることなし。あるひは権者の所為と所 為と称し、あるひは古先の遺風と号して、さらに論ずることなき、わらはば人の腸もたえぬべし。権者とはなにものぞ。賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等覚か妙覚か。また、ふるきをあらためざるべくば、生死流転をばつすべからず。」