「境界を作ってはならない」「いうところの四果は、究極の位である。大乗でも小乗でも究極の位のありようにちがいはない。しかるに、比丘尼にして四果を得たものも少なくない。この三界でも、かの十方の仏土でも、いずれの世界にいたろうとも、誰かその行弘道をさまたげるものがあろうか。また、妙覚とは最高の地位である。女人もまたすでに仏となれば、いずれの方のいずれのものも究め尽くさぬものがあろうか。それを誰が沮(はば)んで到らしめまいとするのか。すでにその功徳はあまねく十方を照らすというに、あえて境界をつくってどうしょうというのであるか。」(道元:正法眼蔵・礼拝得髄)

原文「いはゆる四果は極位なり。大乗にても小乗にても、極位の功徳は差別せず。しかあるに、比丘尼の四果を証するおほし。三界のうちにも、十方の仏土にも、いづれの界にかいたざらん。たれかこの行履をふさぐことあらん。また妙覚は無上位なり。女人すでに作仏す、諸方いづれのものか究尽せられざらん。たれかこれをふさぎていたらしめざらんと擬せん。既に遍照於十方の功徳あり、界畔いかかせん。」