「あるいは天女をもはばんで到らしめないというのか、神女をも碍げて入らしめないというのか。天女も神女もまだ惑いを断つたものではない。なお流転の衆生であって、罪を犯すこともあり、犯さないわけではない。女人も畜生もまた犯すことがあり、犯さないとはかぎらない。だが、天の道、神の道を彼らの前に塞ぐ者は誰もあるまい。だか、彼らはすでに三世諸仏の集会に参詣し、のた仏所にいたって学んでいる。しかるを仏所よ仏会にことなることをしたのでは、誰がそれを仏法として信受しようか。それはただ世間の人をまどわす至愚のわざであって、たとえば、野狐がわが穴をうばわれまいと惜しむよりも愚かしいことなのである(道元:正法眼蔵・礼拝得髄)
原文「また天女をもふさぎていたらしめざるか、神女をもふさぎていたらしめざるか。天女・神女もいまだ断惑の類にあらず、なほこれ流転の衆生なり。犯罪あるときはあり、なきときはなし。人女・畜生も、罪あるときはあり、罪なきときはなし。天のみち、神のみち、ふさがん人はたれど。すでに三世の仏会に参詣す。仏所に参学す。仏所仏会にことならん、たれか仏法と信受せん。ただこれ誑惑世間人の至愚なり。野干の窟穴を人にうばはれざらんとをしむよりもおろかなり。」